2010年9月18日、19日 それぞれのリベンジ 薬師岳



日(曜) 2010年 9月18日(土)
行き先 薬師岳(百名山、2926m)
天候 秋晴れ
メンバー 寺さん、ぜんち               
コース 到着時刻ー出発時刻 所要時間
折立(1356m)  7時55分
(休憩)  8時25分ー 8時30分  30分
三角点  9時10分ー 9時15分  40分
(休憩)2011m 10時10分ー10時20分  55分
(ぜんち引き返し点)2133m 10時45分ー10時50分  25分
(休憩)2220m 11時25分ー11時30分  35分
太郎平小屋(昼食) 12時00分ー12時40分  30分
(休憩) 13時50分ー13時55分  70分
稜線 14時35分ー14時40分  40分
薬師岳山荘 14時50分ー14時55分  10分
避難小屋(寺さん引き返し場所) 15時35分ー15時35分  40分
薬師岳頂上 15時50分ー16時 5分  15分
薬師岳山荘(気温10℃) 16時40分  35分
合計 425分(7時間5分)


日(曜) 2010年 9月19日(日)
行き先 薬師岳(百名山、2926m)
天候 秋晴れ
メンバー 寺さん、ぜんち               
コース 到着時刻ー出発時刻 所要時間
薬師岳山荘(気温8℃)  6時00分
キャンプ場  6時55分ー 7時 5分  55分
太郎平小屋  7時25分ー 7時30分  20分
五光岩  8時 5分ー 8時10分  35分
三角点  9時00分ー 9時10分  50分
折立 10時10分  60分
合計 230分(3時間50分)


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 薬師岳登山口の折立まで、寺さんの車に便乗する。うろこ雲が朝焼けで染まっている。山の稜線もくっきり見えており好天が期待できる。 寺さんは、15年前に仲間たちと薬師岳に挑んでいるが、ガスがかかり視界不良の中での登頂になったため、祠のある頂上ではなく 15分ほど手前の避難小屋を頂上と間違えて、ながらく機会を狙っていたとのこと。
 自分はと言えば、2010年7月31日テントを担いで折立を出発したが、途中で足の痙攣他のため引き返している。
 
 今回は、それぞれのリベンジ登山であった。

 勝手知ったる折立登山口である。標識の前で撮影する。途中で足が痙攣したらどうしよう、というトラウマがあった。 今回は、水の量を前回の半分の2Lとし、行動食もカステラ類やパンとし、g単位で軽量化を図った。ザックの重量は10kg未満である。

 三角点である。始めの脚気という言葉がある通り、ここまでは比較的順調に来れたようだ。ここを過ぎれば水平道に近いなだらか な道ばかりである。写真は、○○大学のワンダーフォーゲル部の一行12名の集団である。男子学生は2〜3名だけのようだ。このように 休憩時点でも反復横とびをしたり、じゃれ合っている。まったく元気がいい。頭の上にはみ出す位のリュックを背負っている。 20kgはあるのではないか。この団体とはこの後何回か遭う。

 一方、シニア組はこの通りである。寺さんが、私の背中を見て「湯気が上がっている」と言った。 そうなのだ、今着ていているアンダーウエアは高額である。こうして汗を発散してくれているのである。 やはり高いものはいいという結論だ。湯気で良かった。これが、加齢臭と言われれば、少し、つ・加齢・るなあ。

 太郎平小屋前のベンチでの昼食風景である。風が強かったが、コンロに火を付けた。芯のあるカップ麺を堪能した。  今回は頻繁に上着を着たり脱いだりした。レイヤード(重ね着)の効果はてき面である。

 太郎平小屋前である。ここまで、予定と1分も違わず到着。寺さんの計算の正確さに驚かされた。

 古い標識もあったが、やはり新しい標識を撮影した。この中で黒部五郎岳、雲の平に目が奪われていた。

 なんと、通称「山いちご」である。寺さんが見つけてくれた。先週室堂下でもあったが、こっちの方が粒が大きい。 撮影後どうなったかと言えば、とうぜん私の口の中である。

 成っているところの写真である。この他に赤い大きな実がなっている木があったが名前が分からず味見せず。  (もったいない)

 キャンプ場を抜けると予想もしなかった(下調べをしてない不届き者のいい訳である)急登が待ちかまえていた。 沢になっている。なんで?という気持ちと反省が入り混じった気持ちであった。ゼイゼイは通り越して開き直って ただ足を動かしているようであった。頭の中では妄想が生まれ、あそこの横に山小屋があるはずだと決めつけ、 着いてみると、ただ崖になっているだけだ。目の前には、ガレ場が見える。そうだ、稜線に出れば山小屋は見える に違いないと懸命に登った。寺さんは余裕で先を歩いている。稜線についたら、嘲笑うかのように「あと15分」 の古い看板がある。ここで力尽きたので、休憩し撮影をした。本来15分前では休まない。
 よし、あと15分ということで力を振り絞って歩いた。まもなく15時である。しかし、頂上へ行くには 日没も考慮しなければならない。つまり、ゆっくりしてられないはずだ。

 前方を撮影した。しかし、山小屋らしい建物は見えない。15分前の距離なら見えても不思議はないのだがと看板を疑った。

 山小屋着は15時少し前、リュックをデポして水とカメラのみ持って登頂を目指す。大丈夫だろうか?

 寺さんはスーパーの袋にペットボトルを入れ、快適に登っている。なんだ、このガレ場は、まるでザラ峠の ようである。2分ほど遅れて懸命について行く。後ろから若い青年が来る。当然ながらすぐ追い着かれる。 そして、「間に合うだろうか」と聞えよがしに呟いている。下から大声で寺さんに時間を聞く。 10分と15分と即答が返ってくる。青年も安心して登る。

 寺さん、因縁の避難小屋である。下からでもはっきり構造物が分かり、霧が濃いと誰でも間違うと思った。 あたりは広い大地である。38豪雪の時に道を誤って13人が遭難した塔が建っていた。この話はどこでも 伝えられ、こみ上げるものがあったので近づかなかった。なんと、標識に頂上まで30分とあったので青年 は戻ってしまったとのこと。寺さんの見立てでは15分なのに・・・。

 予定通り15分で頂上に到着。撮影したら、先に来てお参りしている寺さんが写った。自分も鐘を鳴らし 手を合わせた。中央に大きく金色の薬師如来と横に数体の仏様をしかと見届けた。「ついにやったぞ。」

 まず、一人一人で撮影である。

まず、一人一人で撮影である。  

 やはり祠を背景に二人で撮りましょうと三脚を大きな岩にセットした。2回目でOKが出た。

 山小屋へ戻り、周辺を散策した時に見つけた石碑である。室堂にも山崎カールの似たような石碑がある。

 夕飯である。しかし、腹の調子が悪く半分ほど食べダウンした。  この間、寺さんは新潟県のお爺さんと懇意になり、帰りに間に合えば地鉄駅まで乗せて行く話が出き上がって いたらしい。

薬師岳小屋は今年(2010年8月1日)に建て替えられたばかりで、木の臭いが残っていた。三連休なので 混雑を予想していたが、1人で1.5畳分のスペースがあり、いびきさえなければ快適な小屋であった。いびき については自分の方が迷惑をかけている可能性が大きい。  

 富山平野の夜景が肉眼では良く見えたが、カメラの操作を知らないのでこの通りである。 いいカメラが欲しい。  

 山小屋は非常灯が付いており懐中電灯はいらなかった。4時、ご来光組が出発するにつられて起きる。 モーニングコーヒーである。気温8℃。温かいコーヒーが心も、体も癒してくれた。  

 朝食前の散策である。今日も天気が良さそうだ。槍が岳が見えたのでカメラに収めた。

 別アングルからの登山道である。

 朝食である。ご飯はお代わりした。生卵が出されたが、何時荷揚げしたのだろうか、と不安になる。 荷揚げは月に1回ということである。

 午前6時出発である。なごり惜しいので帰り際にも撮影する。

 ナナカマドの実である。今年は、白い花の状態、青い実の状態と撮っていたので、赤い実で完成である。  

 もう少しいいのがあったので、撮影する。また、いいのがあった。その時である。「電池の容量がありません」 とメッセージが出され、万事窮す。いろいろ撮影したかったが、これで終わりである。
帰りは鼻歌を歌いながら軽快に下って行った。気持ちいの良い下山である。登りの半分の時間で下った。 新潟のお爺さんは、大阪の単独行の女性も誘い4人で立山駅へ向かった。二人を降ろした後、白樺ハイツで温泉 と食事をしてゆっくりした。

今回は、天候にも恵まれベストに近い山行きではなかったろうか。薬師岳の因縁のしこりも取れた。
同行してくれた寺さんには感謝感謝である。今年はもう、3000m級は終わりであろう。ああ、寒かった。  

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